2025/09/15 東京新聞朝刊24面 100年後の残響昭和のうた物語19「頭の中に音符があふれた」1978(昭和53)年 『かもめが翔んだ日』

京浜急行電鉄の堀ノ内駅=神奈川県横須賀市。電車の到着を告げるメロディーが流れ、列車がホームへ。夏の青空、木々の緑に、車体の赤が映える。
「かもめが翔んだ かもめが翔んだ」
渡辺真知子さん(68)が歌う「かもめが翔んだ日」で、作曲も手がけた。若い女性の失恋を描いている。駅があるこの海辺の街は、渡辺さんの故郷。中学生や高校生の頃、雨が降ると、「駅まで傘を持って行っても、何もしゃべってくれない。男性だからかしら…」と懐かしそうに笑う。
1977年、自ら作詞作曲した「迷い道」でデビュー。これがヒットした。すぐ次のシングルを求められたが、「迷い道」は作詞に時間がかかったため、ディレクターが作詞家の人選を進めた。
「現在・過去・未来」という、あの「迷い道」の歌い出しのような、リズミカルな詞を書ける。そんな人が望ましい…。選ばれたのが「この木なんの木 気になる木」と始まるCMソング「日立の樹」で知られる故・伊藤アキラさん。渡辺さんは「プロの方に書いてもらえるのがうれしかった。出来上がった詞を手にして『頭の中に音符があふれた。15分くらいで、ほとんどできた。『あなたは一人で生きられるのね』というくだりは、読みながらメロディーがついてきた」と振り返る。渡辺さんが、作っていた別の曲からメロディーを持って冒頭部分の追加を依頼。ヒットソングが生まれる瞬間。「それは、大きなエネルギーが集まる感じがしてならない」と渡辺さん。

「ハーバーライトが朝日に変わる その時一羽のかもめが翔んだ」
この幕開けの2行は当初、存在しなかった。ディレクターが「もう一つ、何かほしい」と、伊藤さんに冒頭部分の追加を依頼。

ヒット曲は自分の子ども

テレビの歌番組にも積極的に出演するシンガー・ソングライターとして、渡辺さんは異彩を放ち、セカンドシングル「かもめが翔んだ日」は大ヒット。78年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。
その後も「ブルー」(78年)、「たとえば…たとえば」(79年)、「唇よ、熱く君を語れ」(80年)などヒットを重ねた。だが音楽シーンは、多くのバンドに席巻されていく。「潮が引くような…精神的にもきつかった。東京の真ん中にいても陸の孤島にいるというのか。「一分刻みだったスケジュールが一転。失意から88年、米アリゾナ州に移り住む。メキシコを訪れた時、大衆の中にアカペラの歌い手の姿があった。その歌に耳を奪われた。「一音を楽しむエキスパートになりたい」。そんな思いがふつふつと芽生えてきた。「まさに自分のキャパシティーの狭い世界を歌っているだけなんだ」と気付き、帰国後はラテン音楽、ジャズと幅を広げた。
2007年夏、プロ野球・千葉ロッテの本拠地・千葉マリンスタジアムで「かもめが翔んだ日」を歌う。白球が遠くへ飛んで行くように―。そんな願いを込め、ロックっぽいアレンジにした。「楽屋に戻っても『俺ら真知子』と、まだロッテファンの方々が場内でドンドンやっておられて、もう一回歌いまし た。かもめ(ロッテのマスコット) が結んだ縁に目を細める。
能登半島地震が起きた昨年は「とにかく明るく」とホップ。今年はステップ、古希を迎える来年はジャンプ。11月2日に東京国際フォーラムで開くコンサートは、昨年のアルベルト城間さんに続き、今年は南佳孝さんをゲストに招く。
再来年はデビュー50周年の節目。「ヒットソングは自分の子どものようですね。それに支えられてきた。事務所を持って独立しても、ディナーショーを開いても、オーディエンスの方々とつないでくれる。これありきで私がある」

TOKYO発 文・小田克也/写真・七森祐也、石橋克郎、小田克也/紙面構成・大野奈美

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