店づくりは街づくり 旧市営住宅にカフェ&菓子店「此処菓子店」を開業 店主 渡辺三恵子(わたなべみえこ)さん
JR横須賀線田浦駅から谷戸を奥へ。屋根を突く急な坂道を上り切った場所に、カフェを併設した洋菓子店「此処菓子店」を開いた。
視界が広がり、空が近い。「木々に囲まれ、土の香りがする。ふるさとの岩手に戻ったよう。その上、海も見える」。下見に来て一目ぼれした。
良い場所は、かつて「天空の廃墟」とも呼ばれていた。2020年に市営田浦月見台住宅が廃止された後は、木造やブロック造りの平屋の空き家が群だった。
横須賀市と民間会社「エンジョイワークス」が24年に協定を結び、店舗兼住宅に再開発した。「此処菓子店」は、その一つ。まだ新店舗の一つ。今年5月に旧市営住宅の外壁を補修し内装を変え、床などを仲間と作って7月の開店にこぎつけた。
のれんをくぐると、米粉で焼いたクッキーの甘い香りに包まれる。小麦アレルギーの子も食べられるように試行錯誤した。
「もう一つの理由は、ふるさと・岩手のお米を利用したいと考えたから。昨年から米不足が指摘される前は米余りと言われていたから、何とか利用しようと考えた」
おいしいものを多くの人に楽しんでほしい。食べ物を大切にしたい。その思いの延長で、おからと米粉のクッキーも商品化した。「ナッツアレルギーの人もいる。アーモンドの代わりを探して、おからに行き着いた。捨てられることもあるおからを使えば、フードロス対策や(ごみにしないものを利用する)アップサイクルにもなる」
ざくざくした食感のおから入り米粉クッキーは、やさしくどこか懐かしい味で、つい次の一つに手が伸びる。
人気の喫茶メニュー、梅サイダーのシロップは、月見台住宅の広場で収穫した梅で作った。「廃虚」時代は顧みられなかった梅が、滋味豊かな飲み物として皆の渇きをいやしている。
以前勤めていた職場の上司に「店づくりは街づくり」と言われた。その言葉通り、店には人が集まり、にぎわいが生まれた。
サイクリングやハイキングを楽しむ人が休憩に立ち寄る。おから入り米粉クッキーの味見は、月見台住宅に入居する別の店のオーナーに頼んだ。10月5日のイベント「月見祭」では、店の軒先や庭に別の店が出て、にぎわいが増した。
交流は月見台住宅の外へも広がる。「近隣の方から『週末に来るのを楽しみにしている』と言ってもらえるようになったのがうれしい」店内や木や花に囲まれた庭先では、時間がゆっくりと流れる不思議な感覚を覚える。
「自分もそうだったが、子育てをしながら仕事をして、日々休む間もない人が多い。どうぞ今、ここで、心をひと休みしていって」。
「此処菓子店」との店名に込めた思いが、穏やかな空気の秘密かもしれない。(篠ヶ瀬祐司)

月見台住宅
1960年に竣工(しゅんこう)され、2020年に廃止された「市営田浦月見台住宅」を巡り、横須賀市と民間会社「エンジョイワークス」が24年に協定を締結。木造平屋、ブロック造り平屋の元市営住宅群を、47戸の店舗兼住宅に改修した。
今年7月から飲食店やセレクトショップなど、こだわりの店が続々とオープン。10月下旬時点で、47戸のうち43戸が出店・入居契約を終える人気ぶりだ。かつての「天空の廃虚」は、人々が集う「にぎわい住宅群」に生まれ変わりつつある。
2025年11月3日(月)東京新聞朝刊地域の情報面 横浜神奈川
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