葬祭のはなし (64)AIと故人供養「偲ぶ」文化はどこへ行く? 2025年10月11日(土)東京新聞朝刊暮らし面生活
白木の祭壇でお葬式をした時代、故人を象徴するものとしてお位牌が祭壇の上段中央に置かれていました。しかし時代を経て、花祭壇など装飾の変化とともに、祈る対象は遺影写真になり、私たちも遺影に拝礼をするようになりました。遺影も正装でかしこまったものより、笑顔や普段着のほうが「その人らしい」と多くの人が感じるようです。最近は「メモリアルビデオ」と呼ばれる映像を葬儀で流すことも珍しくありません。
このような変化を見ると、「偲ぶ」という行為が、写真や映像など外から与えられる記憶の断片によって、意識的に導かれているように感じます。自分で記憶をたどる手間を、写真や映像が省いてくれます。それは、私だけで故人の姿を想い浮かべ、心の中で故人を「復元」するという感情の交わりを、安直にしてしまっている一面もあると思います。
お位牌だけの時代には、素朴に字面を眺め、故人を想い浮かべました。脳の裏こそが、追悼のスクリーンだったのです。
人工知能(AI)の普及で、故人の写真や言動、文章、映像など、あらゆる情報をもとに、仮想的な故人の復元をたやすくできる技術が出現しました。故人のアバター(分身)と対話できるシステムも、一部にあるようです。やがて、墓所に足を運ばなくても、インターネット上の仮想空間で現実社会が融合すれば、いつでも故人と擬似的に接触ができるようになります。
まさに、科学技術が見せる最先端の未来の姿の一つかもしれませ
ん。思えば、仏教でいう「中有(ちゅうう)」(死んでから次の生を受けるまでの間)の出現と重ね合わせることができます。いわば、死んでいるのか、生きているのか、曖昧な次元に故人が漂う状態です。そうなると、「死の定義も大きく揺らぐのではと困惑してしまいます。「偲ぶ」という感性、供養という次の世代につなぐ責任の本質が、問われます。心理面の環境が瓦解し、人間と自然との間にもうひとつの事象が意識されることとしてのメタバース(仮想空間)かもしれません。大きな社会変革としてのメタバースの活用もありますが、現実の葬祭では、形骸化してもなお根強く引き継がれる文化もあります。これは、哲学でいう「実存は本質に先立つ」という考えの一例であり、葬祭文化の価値を再認識しなくてはならないと感じています。
(日本葬祭アカデミー教務研究室代表・二村祐輔)
=次回は11月8日掲載
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